00.03.26
ナンバンギセルの想い
05.05.10
石見川草

石見川草(アキノウナギツカミ) 05.05.10

 岩湧寺は、役小角(634〜701)によって開山されたと伝えられています。現在はかなり賑やかなので、日曜日の岩湧山からは想像できませんが、平日の早朝、神納からの道を一人で歩いてみると、ほんのちょっぴり7世紀頃のこの山に想いを馳せることが出来ます。岩湧山の細いけもの路を、うっそうとした樹々の間を走り抜けて行った役行者にとって、食べ物にも、飲み水にも、薬草にも、何らことかかなかったと思われます。
 役小角が昇天してから、約90年後、空海(774〜835)は、槇尾山施福寺を訪れています。おそらく岩湧山にも健脚を伸ばしたことでしょう。山岳修行の中で、役小角も空海も、山野菜、薬草等の知識は、実体験の中で非常に豊富だったと言えます。
 804年に空海は、遣唐留学僧として中国に渡り、長安で密教を学びますが、その間、薬草についても出来る限り情報を集めたに違いありません。
 高野山の陀羅尼助はクスリとして今も有名ですが、切り傷、やけど、骨折、おまけに風邪薬(万病薬)として、黒い石のようなニカワ状のクスリ「イシニカワ」は、人々に大変重宝されました。
 その原料である石見川草(アキノウナギツカミ)も弘法大師ゆかりの薬草です。
 庭内に弘法大師を祀るお堂があって、庭先にこの石見川草が咲くという船井家を訪れたのは、この春3月14日でした。この日、Sさんに同行をお願いし、山の中に入っても怖くないと言うわけで、天見駅から島谷を抜け、十字峠から細井谷を通り石見川に出ました。小春日和の気持ちよい朝、所々の梅の花が楽しめましたが、船井家の家陰には、まだ僅かばかりの雪がザラメになって残っていました。
 突然の訪問にも関わらず、当主のご夫婦は、お堂の中や資料などを見せてくださって、しっかりお邪魔をしてしまいました。残念ながら、と言うよりは、当然、時期が早く石見川草の芽はまだ出ていませんでした。
 言い伝えによると、船井家の先祖は、この地を訪れた弘法大師から薬草として石見川草を授かり、これを庭に植え加工し、代々家伝薬として伝えたということです。石見川草は、船井家の庭にしか生えないと記されていますが、その当時、この地域に生息していなかったと思われます。
 おじいさんの代で製薬は中止、もう「イシニカワ」の名前も、この家の普段の会話にも上ることはないのでしょう。どこか奥深く収納してある製薬の道具類も、いつか見られる機会があればと思いながら、船井家をあとにしました。

(溝部 千代子)

注;石見川は、三日市町駅付近で天見川に合流し、天見川は河内長野駅付近で石川に合流する、大和川の支流の一つである。アキノウナギツカミと同様にタデ科で刺があり青や紫の実のなるイシミカワという名の植物があり、単なる偶然とは考えられず、何か関係があるものと思われる。(上田)

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